摩周湖に山の影 ムダの効用 16

イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 水面で鏡像が消えている場所にはみぞれ氷ができているのでしょうか。例年ならまだ凍結したままなのに、
 
今年は3月4日にもう青い湖水が山陰を映していました。
 
 
                       〔ムダの効用 16〕
 
16 資本主義の神話 
 
狩に出た男たちが力と技を競い、獲物を持ち帰って集落の人々に分ける。しとめた男が得々と狩のようすを語り、聞き手の女や子どもは彼の勇気をたたえ、気前のいい分配に感謝する。遠い昔の狩猟採集民のくらしに思いを馳せる機会があれば、こんな情景を想像する人が少なくないのかもしれません。例えば、「進化考古学」が専門と言う松本武彦はこう書いています。
 
狩猟に重きをおくアフリカのサン族などの民族例をみると、(中略)見せ場の場面(狩の成功―引用者)が終わったあとの分配という仕事においても、狩の成功者は、肉という実際の財と引き換えに、好意や信望などの目に見えない社会的財産を、さらに重ねて獲得しているのだ。(『進化考古学の大冒険』新潮選書 122123)
 
このように、狩猟という採食様式、とくにヒト独特の道具と脳とを駆使した大型獣の狩りは、性別や年齢による集群間での社会的役割分担を明らかにし、同じ集群のなかの個人どうしのあいだに威信や信望の多寡による序列を作るように働いた。(後略)(同上 123)
 
つまり松本さんは、リーダーになるのは、獲物の分配を通じてみんなから好かれたり尊敬されたりする、技と知恵にすぐれた男だ、と言っているわけです。商才にめぐまれた男が、下積みから頭角を現して社長にまで上り詰めて、会社を大きくする。あるいは、一生懸命勉強して学校でトップの成績をとった男が、政界に入って激しい競争を勝ち抜き、首相になる。松本さんは、そんな資本主義の神話みたいな発想が頭のどこかに染み付いていて、国家以前の社会もそうだったにちがいないと思い込んだのでしょう。さらに彼は、社会的序列はヒトの脳の構造に根拠があるとまで考えています。
 
(前略)これらの例は、社会の階層化や不平等が定住や農耕による産物ではなく、本質的にはホモ・サピエンスの脳そのものに由来するもので、その初期のきわめて古い時代から存在していた可能性をしめしている。(同上 5960)
 
格差も序列も狩猟採集の昔からあった、ヒトの脳はそうできている、ということになります。社会をつくるヒトにとって優勝劣敗を競うのが本性だという主張です。自由競争を礼賛する金持ちや、政敵を蹴落とす権謀術数が生きがいの政治家などは、こういう序列社会の神話を世に浸透させたいと思うのかもしれません。
松本さんが根拠として唯一名前を挙げているのは、狩猟採集を生業とするサン族です。彼らはブッシュマンとも呼ばれます。ブッシュマンは白人による蔑称ですが、植民地主義への抗議の気持ちをこめて、いまあえて使う人も少なくありません。サンという名もまた、農牧民のバンツー系の人々による蔑称です。文化人類学者の菅原和孝は、1982年から足かけ15年、ボツワナブッシュマンに属するグイの人々の間で過ごし、フィールドワークを続けました。
菅原さんによれば、グイの人々は狩の獲物を分けてもらうことを当然と考えていて、もらっても感謝などしません。獲物を持ち帰った男も、「権力と強制と傲慢を徹底して嫌」う「ブッシュマン・センス」(ブッシュマンとして生きる』(中公新書 2004年刊)295)が体に染み透っていますから、自慢しようなどとは思いません。松本さんの想像とはちがって、狩猟能力の優劣が序列を生んだりはしない平等社会です。ヒトの脳はそういう社会を作ることもできます。
一般命題が偽である証明は反証を一つ挙げれば十分だと、論理学は教えています。グイについての菅原さんの報告が正しければ、ヒトの遺伝形質のなかに、「階層化や不平等」をもたらす根拠を求めることは、まちがっています。神経科学者のVS.ラマチャンドランは、およそ5万年前から7万5000年前に、ミラー・ニューロンの大きな進化が起きて、それ以後のヒトはそれ以前のヒト科生物とは異質な文化水準に達したと、推測しています(『脳のなかの幽霊、ふたたび』角川書店 61,158,159)。グイもわたしたちもその同じ形質を受け継いでいます。
次章からは、現代の社会環境が脳に及ぼす影響を検討した上で、菅原さんが紹介するグイの社会についてもう少し詳しく見ていきます。 (続く)