先住民のくらしは 2

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 土間に藁だけ置いてあると、なんだかとても貧しい原始生活という印象になります。でも北海道の考古

学の本には、ふかふかの厚い毛皮を敷いた写真が出ています。大きな船形の木皿にシャケが一匹置かれ、

その前には繊細な模様を刻んだ素焼きの壷が4つ並んでいます。続縄文期には衰退していますが、縄文晩

期には漆を使って鮮やかに彩色するのが流行っていたようです。琥珀、ガラス、トチの実などを連ねたネ

ックレス、黒曜石の彫刻、楽器、櫛などもたくさん出土していますから、わたしの先入観とちがって、縄

文人からアイヌにつながる縄文的生活は、けっこう豊かだったのではないかと思いました。

 擦文期になると壁際には床ができています。金属器が普及していましたから、製材が容易になったので

しょう。一晩中囲炉裏で薪が燃えていて、36平米の空間に10人、毛皮にくるまって身を寄せ合うくら

しは、案外暖かかったかも。天井の煙出しや舌状の入り口は、サロマ湖と陸の間を渡る風を避ける方向に

開いています。気候や身の回りの自然物に対する彼らの知識はとても深かったと思います。現代人は知識

が部分的・抽象的ですが、彼らの知識は自然物と交感する悦びの感情と融合していたでしょう。

 続縄文期までは、金属器も使われはじめてはいても主流は石器です。なかでも白滝などを産地とする黒

曜石の刃物は、展示されているものからでもその鋭利さが覗われます。彼らはこんな道具で、大木を伐採

したり船にくりぬいたりしたのですね。できる家や得られる獲物を思い浮かべながら、長い時間をかけ、

協力し合う作業だったのでしょう。そして完成したときの歓びの共有。

 常呂遺跡の森の復元住居や木立は、わたしが50年以上忘れていた山村の生活につながる懐かしいもの

を思い出させます。住居の中に古の生活をしのばせる道具類が配置され、さらに実際にこの中で夜を過ご

したり、彼らと同じ食材の一部を獲って調理したりできたら、わたしはここを何度でも訪れたくなるよう

な気がします。