海の氷と白い山 愛ということば

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 どうやら流氷の季節は終わったようです。オホーツク地方の冬に開放感をもたらす明るい日射しを浴び

て、氷漂う海に浮かぶ知床連山の白い景色も、3月4日が撮りおさめになりました。


               〔愛ということば〕

 いま放映中のNHK大河ドラマ天地人』のタイトルバックに、愛という字で飾られた直江兼続の兜が

毎回浮かび上がります。それを見るたびにわたしはひっかかるものを感じます。兼続や当時の人々がこの

文字に込めた想いは、わたしたちが「愛」ということばから受けとるニュアンスとちがうはずです。番組

製作者はそれを知りながら、視聴者がその二つを重ねることを当て込んでいる気がします。

 漢和辞典に載っている「愛」の読みはイツクシム、メヅる、イツクシミ、ヲシムです。アイはありませ

ん。手持ちの古語辞典にある用例は「虫どもを朝夕に愛し給う」、「うつくしみ愛し給うべきあが仏」、

「愛せよ(手心を加えよ)」の三つです。「愛でる(愛づ)」は、「美しさを味わい感動する、(勇気など)に

感心する、生き物をかわいがる」の意味です。

 古来の日本語としての「愛」には上下関係の意識が付きまとうみたいで。親が子を、領主が領民を「愛

くしむ」や、人が風景や生き物を「愛でる」のような使い方はいい。だけど、子が親を、領民が領主を

「愛くし」んだり、犬が飼い主を「愛で」たりは不自然、そういう感覚があります。水平的な関係で、例

えば同胞や人類を愛するなどは、本来の日本語ではない、と。性的なペアーの場合でもかつては、「好き

だ(好いている、好いとる)」「慕っている」「いとしい」などとは言っても、「愛している」とはあまり

言わなかったと思います。

 研究社新英和大辞典は抽象名詞としてのloveを、次の4点にわたって説明しています。1、(家族、

友人、祖国などに対する)愛、愛情 2、〔物、事に対する〕好み、愛好(心)、愛着 3、(神の)愛、慈

悲、(人の神に対する)愛、敬愛、崇敬 4、(異性に対する)愛、恋、恋愛、愛慕。この4つはいまのわた

したちが抱く「愛(アイ)」の概念にぴったり重なり、上下関係のニュアンスはありません。現代的な意

味での「愛(アイ)」は、英語のloveまたは他の欧州系言語のそれに当たることばの訳語で、一般化

したのは戦後になってからではないでしょうか。

 わたしのような歳の日本人男子には、妻や子にさえ「愛してる」と言うのに抵抗感がある人がまだいる

ような気がします。女性や若い世代はどうでしょう。中世以後の西欧の神は万民に、「わたしを愛せ」と

要求する存在です。そして彼の前では何人も平等です。この宗教意識がパブリックとプライベイトを貫く

loveの概念を育んだ背景かな。日本の神仏だと、「敬愛せよ」じゃないですか。「愛しみ」と「敬愛(崇

尊)」がセットです。わたしでも気恥ずかしさを感じずに幅広く使える、ひとつのことばを育てなかった

「伝統」が恨めしいような。