夢幻のなかで 1

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 ひときわ霧氷がみごとな厳寒の朝に、スパッツで護られた足で雪原に深い跡を刻み、青白、純白、薄紅

色と、微妙に色調を変える木々を見つめながら歩き、一瞬美しい夢の世界にいるのかと。臨死体験で花園

を見ると聞きました。わたしの脳がエンドルフィンに浸されたとき、この幻影に囲まれていられたら、穏

やかに最後の息を引きとることができるような気がします。


              新しい文明の姿を考える 

(20) 最終章 その一

 アメリ金融危機から始まった経済の大嵐が、世界の至るところで猛威を振るっています。GMを筆頭

とする米自動車産業ビッグ・スリーは大波を受けて難破しました。船体を救助すべきか、沈むに任せて

放棄すべきか、さかんに論議されています。日本でも、ビッグ・スリーを押しのけて世界一の座を確保し

ようと、順調に船出したかに見えたトヨタ自動車が、大波の余波を受けて、手痛い後退を余儀なくされま

した。嵐の発生源である米金融大手は、国民の将来を担保にした政府の巨額支援で、いまのところ辛うじ

て沈没を免れています。金融立国の旗を掲げて軽快に飛ばしていたアイスランドという小船はあえなく転

覆し、世界に救助信号を発しました。経済競争力でトップグループを形成していた北欧諸国や、『経営の

未来』が優れたイノベーション企業として例示した、ゴア、グーグル、ホールフーズなどの行方も気がか

りです。嵐が去った後にどんな風景が見えてくるのでしょうか。

 GMは前世紀中ごろからその終末近くまで、世界に屹立する超大国アメリカを代表する堂々たる巨艦で

した。その企業構造は従来のアメリカ的社会構造に対応しています。経営首脳と大株主は社会の上層に属

します。その下で利潤拡大戦略を練って指揮を執る上位管理職も上層につながります。権限と職務を割り

当てられて同僚と成果を競う中間管理職は、有名大学、ビジネススクール専門職大学院などの学歴を足

場に、キャリアーを積んで上層に這い上ろうと、虎視眈々と機会をうかがっています。下級事務職と大工

場の正規工は社会の中層です。現場労働者の待遇を護るのは企業横断的な職能組合。その外に、身分が不

可安定な関連零細企業などの工員、あるいは警備・掃除や職場外の日常生活にかかわる雑多な仕事でくら

す人々がいます。彼らの大多数は学歴の低い人、脱落した人、国外からの流入者などで、下層に属しま

す。

 どの企業でもそれらのすべての層が、単に仕事の機能分担としてではなく、横断的な社会層として隔て

られています。上・中層のキャリアーは、政治、行政、研究・教育など、他の業種でも通用します。地位

と収入をめぐる競争は社会的なものです。GM型企業でイノベーションを期待されるのは管理職まで。平

工員は割り当てられた職務で有能であればよかったはずです。

 戦後の日本社会では、横断的な社会層の境目はあいまいでした。有名企業であれば、正規雇用の平工員

まで含めて身内意識でまとまり、そのなかで同僚よりわずかでも上に立ちたいと、会社への忠誠を競い合

います。その競い合いによる効率化を制度化したものが、終身雇用と年功序列を中心とする日本的システ

ムです。日本の中層の中核は、大資産家と経営トップを除く、有名企業正社員でした。その外の下層を構

成する主役は、町工場の工員、農村からの出稼ぎ人夫、小規模サービス業の店員などです。ただ、不動産

バブルがはじける前は、日本の歴史上かつてなかったほど、飢えと寒さに苦しむ貧困者の層が薄くなっ

て、「総中流化」が語られていました。生活向上の機関車は、効率化を進めた製造業などの大企業です。

 しかしバブルがはじけて以後、身内でかたまった縦割り組織内で競い合う日本的システムは、社会全体

で競い合うアメリカ的システムに劣るのではないか、という声が高くなりました。それでもトヨタは、日

本的システムの骨格を根こそぎ捨て去るところまでは進まず、身内意識を利用して末端社員まで巻き込む

カイゼン運動を起こし、順調にGMを追い詰めていました。ですから、『構造改革論の誤解』(前出)の著

者たちはこう言います。


  本来、日本的雇用システムは、それ自体として非効率であったわけではまったくない。それはむし 

 ろ、給与や職階のわずかな差異を利用して、サラリーマンたちの競争や生産性向上への意欲を巧みに引

 き出すシステムであった。日本の企業はそれによって、平等性と効率性を見事に両立させてきたのであ

 る。(19頁)


 とはいえ前世紀末からは、一人当たりの国内総生産で世界一だった日本が年々順位を下げて、07年に

は19位です。アメリカも低下傾向ですが、日本よりは上でした。野口悠紀雄は『超「超」整理法』(講

談社刊)のなかで、金融危機が顕在化する前、08年6月のものですが、日米を代表する企業の従業員一

人当たり時価総額を比較した数字を示しています(288頁)。それによれば、グーグル:8.671万ドル、

マイクロソフト:3.271万ドル、トヨタ自動車:0.515万ドル、ソニー:0.253万ドルです。グーグルはト

ヨタの約17倍。労働生産性の大きな格差が推定されます。野口悠紀雄はもうGMにアメリカ経済を代表

させていません。


  このような(IT化が個人や小さな組織を有利にすること―引用者)条件変化を背景として、アメリ

 では、マイクロソフトインテルシスコシステムズなどの新しい企業が経済をリードするようになっ

 た。これらは現在は大企業だが、古くからの伝統的大企業であるGMなどに比べると、従業員数などで

 見た企業規模はずっと小さい(後出の表8-1に示すように、これら企業の従業員数は、日本の大企業

 の十分の一から五分の一程度の水準でしかない) 。これらの他に、アメリカでは多くの小企業が登場し

 ている。

  その半面で、伝統的な巨大組織が経済を牛耳る社会が、国際的に見て劣位に立つようになっている。

 日本はその典型である。(野口 同前 284・5頁)


 アメリカは日本より、IT関連など知能労働の比重が高く効率のいい業種が大きく成長しています。次

回は、日本がアメリカに遅れをとった理由と、そのアメリカが一人当たりのGDPで、北欧など欧州のい

くつかの国に追い抜かれた理由をさらに考えます。 (続く)