泡をかむ白い渓流
滝上渚滑川の多様な姿から、今日は白い水面をそろえました。
サイタマンさん、あなたのコメントがうれしくて、夜中に目覚めて今日の記事を下書きしました。
きのうの続きです。
ロックトインでは意識があります。身動きできず、呼吸筋が麻痺して呼吸器につながれていても、瞼
(まぶた)など、どこかに動かせる筋肉が残っていると、文字盤で示された50音にyea、noのサインを送
って、一字ずつ文につないで意思を伝達できます。それもできなくなった患者のケースを、特集で川口有
美子が書いています:いまは脳波や脳血流でスイッチが入る機器がある。2年の沈黙の後に脳波スイッチ
を使うようになって、歌集を出版した人がいる。しかし脳波や脳血流を自分でコントロールするには訓練
が必要で、誰もが成功するわけではない。彼女の母親は使えなかった。それでもロックトインとわかって
いれば、家族や介護者は伝わっていると信じて語りかけを続けることができる。
特集にある戸田聡一郎の記事によれば、刺激に対する有意味の反応があるかどうかによる植物状態の判
定は、とても誤診率が高いそうです。彼は、植物状態とされた患者に脳機能イメージングを行い、意識を
検知したという、Owenの研究報告を紹介しています。OwenはfMRIで実験していると思われます。fMRIは、
働いている脳部位の血流増加を滋波の変化で計測する機器です。患者と健常者に同じ課題を課してほとん
ど同じ結果になったというものです。その課題と結果とは:ノイズと意味ある発話を聞かせると、意味の
ある発話では下前頭葉の活動が捉えられた。ここは言葉から結論を導く活動で活性化する領域である。さ
らに、テニスをしているところと家の中を歩いているところを想像するように求めたとき、テニスでは補
運動野、歩行では運動前野・後頭頂葉・海馬旁回が活動していた。
戸田は被験患者が一人であること、無意識過程でないという証明が足りないことから、Owenの結論に同
意しない研究者がいると示唆しています。それでも戸田は、この実験は臨床で有効利用できるので有意義
だと考えています。しかし、言語理解で意識の有無をスクリーニングすることになる危険性も指摘しま
す。言語によらない意識的な認知の可能性も考えられるからです。Owenの方法ではそういう患者の切捨て
になる、と。
夢はどうなのでしょう。目覚めて行動を意図している場合と重なる領野が多いのではないでしょうか。
それでも、眠っていたら意識があるとは言えません。眠っている人がたまたま呼びかけに応えるような動
作を見せても、コミュニケーションは成立していないでしょう。とはいえ、眠っている子が語りかけに応
えるようなそぶりをしたら、親のいとおしい気持ちはつのると思います。
重篤な意識障害患者からは有意の反応はまったく期待できません。でも、家族や介護者には、科学機器
が示す意識のある可能性は、呼吸器をはずす方が本人のためではないかという迷いから脱する手がかりな
ります。さらに、扁桃体や視床下部をモニターして患者の快・不快を知ることができるようになったら、
家族や介護者は力づけられるでしょう。川口有美子さんが書いているケースでは、長い沈黙を破って脳波
スイッチを使うようになった人が、「死にたくない」と伝えたそうです。
わたしが主治医に手紙を書いているとき、一瞬何か不安のような感情が浮かんだことを覚えています。
いま思えば、自分では意識があるのに、それを示すことができずに回復不能と判定されることへの懸念だ
ったようです。完全に受身でも、意識がある限り生を享受できるのかもしれない、そう思います。自然な
やさしさで介護してくれる人がいれば、ですけど。その一方で、自分のだいじな人に無理はさせたくな
い、とも思います。近親者には情を、介護・医療専門家には誠実な職務遂行を、期待できたら一番です。
その上、優秀な介護ロボットがいてくれたらもう最高。誰か一人にその全部を押し付けて、過剰な負担を
かけるのは理不尽です。
それがいまの現実なら、何かのときにわたしはやっぱり主治医に手紙を渡しましょう。「意識回復が望
めないと医師が判断したら」に書き換えて。
(このテーマ終わり)
サイタマンさん、あなたのコメントがうれしくて、夜中に目覚めて今日の記事を下書きしました。
きのうの続きです。
ロックトインでは意識があります。身動きできず、呼吸筋が麻痺して呼吸器につながれていても、瞼
(まぶた)など、どこかに動かせる筋肉が残っていると、文字盤で示された50音にyea、noのサインを送
って、一字ずつ文につないで意思を伝達できます。それもできなくなった患者のケースを、特集で川口有
美子が書いています:いまは脳波や脳血流でスイッチが入る機器がある。2年の沈黙の後に脳波スイッチ
を使うようになって、歌集を出版した人がいる。しかし脳波や脳血流を自分でコントロールするには訓練
が必要で、誰もが成功するわけではない。彼女の母親は使えなかった。それでもロックトインとわかって
いれば、家族や介護者は伝わっていると信じて語りかけを続けることができる。
特集にある戸田聡一郎の記事によれば、刺激に対する有意味の反応があるかどうかによる植物状態の判
定は、とても誤診率が高いそうです。彼は、植物状態とされた患者に脳機能イメージングを行い、意識を
検知したという、Owenの研究報告を紹介しています。OwenはfMRIで実験していると思われます。fMRIは、
働いている脳部位の血流増加を滋波の変化で計測する機器です。患者と健常者に同じ課題を課してほとん
ど同じ結果になったというものです。その課題と結果とは:ノイズと意味ある発話を聞かせると、意味の
ある発話では下前頭葉の活動が捉えられた。ここは言葉から結論を導く活動で活性化する領域である。さ
らに、テニスをしているところと家の中を歩いているところを想像するように求めたとき、テニスでは補
運動野、歩行では運動前野・後頭頂葉・海馬旁回が活動していた。
戸田は被験患者が一人であること、無意識過程でないという証明が足りないことから、Owenの結論に同
意しない研究者がいると示唆しています。それでも戸田は、この実験は臨床で有効利用できるので有意義
だと考えています。しかし、言語理解で意識の有無をスクリーニングすることになる危険性も指摘しま
す。言語によらない意識的な認知の可能性も考えられるからです。Owenの方法ではそういう患者の切捨て
になる、と。
夢はどうなのでしょう。目覚めて行動を意図している場合と重なる領野が多いのではないでしょうか。
それでも、眠っていたら意識があるとは言えません。眠っている人がたまたま呼びかけに応えるような動
作を見せても、コミュニケーションは成立していないでしょう。とはいえ、眠っている子が語りかけに応
えるようなそぶりをしたら、親のいとおしい気持ちはつのると思います。
重篤な意識障害患者からは有意の反応はまったく期待できません。でも、家族や介護者には、科学機器
が示す意識のある可能性は、呼吸器をはずす方が本人のためではないかという迷いから脱する手がかりな
ります。さらに、扁桃体や視床下部をモニターして患者の快・不快を知ることができるようになったら、
家族や介護者は力づけられるでしょう。川口有美子さんが書いているケースでは、長い沈黙を破って脳波
スイッチを使うようになった人が、「死にたくない」と伝えたそうです。
わたしが主治医に手紙を書いているとき、一瞬何か不安のような感情が浮かんだことを覚えています。
いま思えば、自分では意識があるのに、それを示すことができずに回復不能と判定されることへの懸念だ
ったようです。完全に受身でも、意識がある限り生を享受できるのかもしれない、そう思います。自然な
やさしさで介護してくれる人がいれば、ですけど。その一方で、自分のだいじな人に無理はさせたくな
い、とも思います。近親者には情を、介護・医療専門家には誠実な職務遂行を、期待できたら一番です。
その上、優秀な介護ロボットがいてくれたらもう最高。誰か一人にその全部を押し付けて、過剰な負担を
かけるのは理不尽です。
それがいまの現実なら、何かのときにわたしはやっぱり主治医に手紙を渡しましょう。「意識回復が望
めないと医師が判断したら」に書き換えて。
(このテーマ終わり)