逆さモミジ
「逆さ富士」から思いついて、水面の紅葉を「逆さモミジ」と表現してみました。チミケップ湖の少し
手前に小さな滝があります。淀みに映る多彩な木の葉はさながらみごとな絵画です。肉眼では奥行きが深
く感じられ、水底に広がる別次元世界に吸い込まれそうでした。風が立てるさざ波が葉の輪郭に微妙な修
正を加えます。
昨年末大腸がん切除が決まったとき、万一に備え、わたしは主治医に、「意識回復が望めなくなった
ら、人工的延命措置を行わず、苦痛緩和だけお願いします。死後に役立つ臓器があれば提供に同意しま
す」、という文面を含む手紙を手渡しました。後で変なところに気がつきました。意識がないのに苦痛が
あるという状態が想定されています。きのう雑誌「科学」(岩波書店)08年8月号に特集されている「生と
死の脳科学」を読んでいて、仮定の部分を少し書き換えれば通用すると思いました。「意識回復が望めな
いと医師が判断したら」にすればいいのです。
意識がないという判断は外から医師が下しますが、苦痛はわたしの内部現象です。両方がいつも一致す
るとは限りません。実際は意識があっても、外部に言語や動作で表現できないケースがあります。かつて
は頭部を開いて電極を挿すなどの侵襲的な手段を取るのでなければ、自発的発声や動作がない状態を「意
識がない」と見なすしかありませんでした。いまでは非侵襲的な外からの脳イメージングで、脳が機能し
ているか否かは確認できます。とはいえそれが意識かどうかの判断はなかなか困難なようです。
重篤な脳障害は3つに分類されるそうです。まずロックトイン(閉じ込められ)。覚醒していて(目をあ
けることがあって)意識もあるのに、全身が麻痺して自発的に動かすことのできる筋肉が体にほとんど、
あるいはまったく残っていない場合です。筋萎縮性側索硬化症(ALS)や脳幹梗塞などで生じます。次は、
覚醒していて意識がない状態が、一般的には3ヶ月以上続く、いわゆる「植物状態」。ふつうは奇跡のよ
うなまれなことと考えられているけれど、程度の差はあっても、適切なリハビリテーションで回復するこ
とも少なくはないと、美馬達哉は書いています。最後が覚醒も意識も認められない昏睡で、その重症なも
のが「脳死」です。
脳死に「」を付けました。今では世界的に「脳死」が死と認められる傾向があり、回復の可能性がない
脳幹機能停止を中心とするその基準も、大方の合意ができてきています。しかし、大脳皮質や脊髄に部分
的な機能が認められるときどう判断するかは、あいまいさが残ります。脳死という事実があるというよ
り、それは人による判定である、ということだと思います。
もともと「脳死」を死とする判断の根拠になったのは、脳が体の機能を統合しているのだから、脳が死
ねばすぐに(例えば長くても大人で1週間、子どもで2週間)体が死ぬという説でした。これに対し、特
集に含まれているD.アラン・シューモンのメタ分析報告は、この説を否定し、身体自体に統合性があると
しています。身体に損傷が少ない脳だけの死は、必ずしもすぐに心停止につながるものではないというの
が、この人の結論です。それが正しいとすれば、「脳死」を死と認定するには、「人として生きているこ
と」についての何らかの定義が必要になります。
(このテーマ続く)
手前に小さな滝があります。淀みに映る多彩な木の葉はさながらみごとな絵画です。肉眼では奥行きが深
く感じられ、水底に広がる別次元世界に吸い込まれそうでした。風が立てるさざ波が葉の輪郭に微妙な修
正を加えます。
昨年末大腸がん切除が決まったとき、万一に備え、わたしは主治医に、「意識回復が望めなくなった
ら、人工的延命措置を行わず、苦痛緩和だけお願いします。死後に役立つ臓器があれば提供に同意しま
す」、という文面を含む手紙を手渡しました。後で変なところに気がつきました。意識がないのに苦痛が
あるという状態が想定されています。きのう雑誌「科学」(岩波書店)08年8月号に特集されている「生と
死の脳科学」を読んでいて、仮定の部分を少し書き換えれば通用すると思いました。「意識回復が望めな
いと医師が判断したら」にすればいいのです。
意識がないという判断は外から医師が下しますが、苦痛はわたしの内部現象です。両方がいつも一致す
るとは限りません。実際は意識があっても、外部に言語や動作で表現できないケースがあります。かつて
は頭部を開いて電極を挿すなどの侵襲的な手段を取るのでなければ、自発的発声や動作がない状態を「意
識がない」と見なすしかありませんでした。いまでは非侵襲的な外からの脳イメージングで、脳が機能し
ているか否かは確認できます。とはいえそれが意識かどうかの判断はなかなか困難なようです。
重篤な脳障害は3つに分類されるそうです。まずロックトイン(閉じ込められ)。覚醒していて(目をあ
けることがあって)意識もあるのに、全身が麻痺して自発的に動かすことのできる筋肉が体にほとんど、
あるいはまったく残っていない場合です。筋萎縮性側索硬化症(ALS)や脳幹梗塞などで生じます。次は、
覚醒していて意識がない状態が、一般的には3ヶ月以上続く、いわゆる「植物状態」。ふつうは奇跡のよ
うなまれなことと考えられているけれど、程度の差はあっても、適切なリハビリテーションで回復するこ
とも少なくはないと、美馬達哉は書いています。最後が覚醒も意識も認められない昏睡で、その重症なも
のが「脳死」です。
脳死に「」を付けました。今では世界的に「脳死」が死と認められる傾向があり、回復の可能性がない
脳幹機能停止を中心とするその基準も、大方の合意ができてきています。しかし、大脳皮質や脊髄に部分
的な機能が認められるときどう判断するかは、あいまいさが残ります。脳死という事実があるというよ
り、それは人による判定である、ということだと思います。
もともと「脳死」を死とする判断の根拠になったのは、脳が体の機能を統合しているのだから、脳が死
ねばすぐに(例えば長くても大人で1週間、子どもで2週間)体が死ぬという説でした。これに対し、特
集に含まれているD.アラン・シューモンのメタ分析報告は、この説を否定し、身体自体に統合性があると
しています。身体に損傷が少ない脳だけの死は、必ずしもすぐに心停止につながるものではないというの
が、この人の結論です。それが正しいとすれば、「脳死」を死と認定するには、「人として生きているこ
と」についての何らかの定義が必要になります。
(このテーマ続く)