能取岬のオドリコソウ
nam**iさん、この前もコメント欄末尾の発信人名をクリックしたのですが、ヤフーブログ画面にブログ
準備中と出ました。nam**iの部屋をヤフーで検索したところ、1ページ目には見つかりませんでした。グ
ーグルとbiglobeの検索では該当なしでした。また探してみます。
今年は砂湯の湖に向かって右手湖面に御神渡りができました。キャンプ場先の林床の小道もわりあい気
持ちのいい散歩道です。
きのう岬に行って(強い海風が冷たくて)オドリコソウの写真を撮り、遺跡の森のものと比べてみまし
た。やはり岬のほうが葉に元気があるような気がします。最上段に咲いても葉の陰になるでしょうね。森
のものはてっぺんの茎と葉が伸びる前に最上段の蕾が開いたのでしょうか。草木はちょっとした条件の違
いで姿かたちが変わるみたい。庭のスミレ(ビオラ?)もイチゴの根元に割り込んで咲いたものは、大きく
て背も伸びています。踏み後の固い土や砂地のところでは株にならず一本ずつ小さな花をつけていて、ち
がう種かと思うほどです。
このところ食のマイブームはラーメンです。2週間ほど毎日一食は食べています。と言っても、ラーメ
ン屋を渡り歩いているわけではありません。3食分98円とか105円とかの生玉を買ってきて、自分で
調理します。キュウリとひき肉でジャージャー麺風の冷麺、ハムを使ったふつうの冷やし、汁物では塩味
の野菜炒め麺、たっぷりのチャーシュウとありあわせの茹野菜を乗せたもの。スープは中華鶏ガラスープ
の素と麺つゆを基本に、ゴマ油、酢、バター、などをあわせます。カロリーが怖くて、満腹するまで食べ
たり、バターやラードを十分使ったりできないのが残念です。同じような安い生玉でも、メーカーによっ
てかなり味がちがいますね。野菜・山菜と海産物が安い時期です。アスパラは食傷気味です。とにかく誘
惑に負けて食べすぎないように用心しなくては。
ふと思います。わたしの悩みは楽しんで食べられるものが買えないことではなく、それが多すぎること
です。最低限必要なカロリーと栄養を摂れない10億人以上の人に比べると、なんとぜいたくな悩みなの
か、と。わたしと彼らを分けるのは勤勉と怠惰などではなく、生まれたところの違いです。そのへんを錯
覚すれば、身分の高い家に生まれただけで支配者としての自分のくらしを当然と感じていた昔の人と、同
じ思想水準まで後退することになります。
昔とちがって今は、貧しい人々が自分の惨めなくらしを運命として甘受しなくなっていますから、ぜい
たくにくらすわたしたちの身辺にまで、社会不安が容易に波及します。この現状を正しく理解し、貧困克
服は自分にもかかわりある課題だと大多数の人が考えるところまで、世の思想は進歩している。そう思え
ないと、わたしの食のささやかな楽しみにも影が射します。福田首相の対アフリカODA4200億円の
約束が、遠い国より足元の景気や社会保障にカネを使えという声で、ホゴにされるようなことがなければ
いいのですが。
準備中と出ました。nam**iの部屋をヤフーで検索したところ、1ページ目には見つかりませんでした。グ
ーグルとbiglobeの検索では該当なしでした。また探してみます。
今年は砂湯の湖に向かって右手湖面に御神渡りができました。キャンプ場先の林床の小道もわりあい気
持ちのいい散歩道です。
きのう岬に行って(強い海風が冷たくて)オドリコソウの写真を撮り、遺跡の森のものと比べてみまし
た。やはり岬のほうが葉に元気があるような気がします。最上段に咲いても葉の陰になるでしょうね。森
のものはてっぺんの茎と葉が伸びる前に最上段の蕾が開いたのでしょうか。草木はちょっとした条件の違
いで姿かたちが変わるみたい。庭のスミレ(ビオラ?)もイチゴの根元に割り込んで咲いたものは、大きく
て背も伸びています。踏み後の固い土や砂地のところでは株にならず一本ずつ小さな花をつけていて、ち
がう種かと思うほどです。
このところ食のマイブームはラーメンです。2週間ほど毎日一食は食べています。と言っても、ラーメ
ン屋を渡り歩いているわけではありません。3食分98円とか105円とかの生玉を買ってきて、自分で
調理します。キュウリとひき肉でジャージャー麺風の冷麺、ハムを使ったふつうの冷やし、汁物では塩味
の野菜炒め麺、たっぷりのチャーシュウとありあわせの茹野菜を乗せたもの。スープは中華鶏ガラスープ
の素と麺つゆを基本に、ゴマ油、酢、バター、などをあわせます。カロリーが怖くて、満腹するまで食べ
たり、バターやラードを十分使ったりできないのが残念です。同じような安い生玉でも、メーカーによっ
てかなり味がちがいますね。野菜・山菜と海産物が安い時期です。アスパラは食傷気味です。とにかく誘
惑に負けて食べすぎないように用心しなくては。
ふと思います。わたしの悩みは楽しんで食べられるものが買えないことではなく、それが多すぎること
です。最低限必要なカロリーと栄養を摂れない10億人以上の人に比べると、なんとぜいたくな悩みなの
か、と。わたしと彼らを分けるのは勤勉と怠惰などではなく、生まれたところの違いです。そのへんを錯
覚すれば、身分の高い家に生まれただけで支配者としての自分のくらしを当然と感じていた昔の人と、同
じ思想水準まで後退することになります。
昔とちがって今は、貧しい人々が自分の惨めなくらしを運命として甘受しなくなっていますから、ぜい
たくにくらすわたしたちの身辺にまで、社会不安が容易に波及します。この現状を正しく理解し、貧困克
服は自分にもかかわりある課題だと大多数の人が考えるところまで、世の思想は進歩している。そう思え
ないと、わたしの食のささやかな楽しみにも影が射します。福田首相の対アフリカODA4200億円の
約束が、遠い国より足元の景気や社会保障にカネを使えという声で、ホゴにされるようなことがなければ
いいのですが。