白ツツジ蕾から花へ

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 鈴なりさん、またうろうろしてここへも寄ってください。


 このあたりでツツジといえば圧倒的にエゾムラサキツツジです。それでもちらほら白いツツジも見かけ

ます。せせらぎ公園にも一本だけあって、じっと見つめると透明感のある色がなかなか魅力的です。前の

2枚は4月22日のもので、あとは5月3日です。


 毎週NHKの「エコ大紀行」を見ていました。録画しておいた先週分を昨夜見ているとき、途中で止めて

しまいました。前からこの番組には、おいしい魚料理を食べていて小骨が頬の内側に刺さるように、とき

どき何か興を削ぐものがあると感じていました。その正体がそのときわかった気がしたからです。

 わたしはNHKの自然を映した番組が好きです。美しい山の景観や花々、珍しい動植物などの映像を、CM

で中断されずに楽しむことができるからです。「エコ大紀行」にもそういうものを期待して見ていまし

た。ところが映像の間に、環境保護についての意見・主張に類するナレーションや出演者の言葉が挟まれ

ていて、それで感興に浸っていた気分を醒まされるのが、苛立ちの原因だったようです。

 出会った自然に出演者が感動して、思わず日ごろ感じていたことが言葉として洩れてしまうのなら、抵

抗はありません。映像の魅力を利用して、番組制作者があらかじめ目論んでいた主張を、知らないうちに

視聴者に刷り込むような作り方がいやなのです。アル・ゴアの「不都合な真実」のように、意見番組であ

ることを明示して、主張を裏付けるように映像を構成するのであればかまいません。CMとしてではなく、

番組本体にさりげなく商品広告を挟みこみ、番組がかもす情緒を利用して視聴者の無意識に商品への好感

を刷り込むのは、ルール違反ですよね。それと同じ不快さがあります。

 テレビはインターネットのような双方向性があるメディアではありません。放送するのは圧倒的な資本

をもち、免許を受けた局です。視聴者は一方的に受信するだけで発信はできません。そういう地位の優越

を利用し、情緒を操作し特定の主張を刷り込もうとする、それは卑怯です。「エコ大紀行」の製作者は、

自然保護は誰にも反対できない主張(大義)であり特定の勢力の偏った主張とはちがう、という認識かもし

れません。しかし、何が大義であり何が偏った意見かを自分たちが判断するというところに、地位の優越

に寄りかかった傲慢さがあります。

 ナチスアルカイダも自分たちの主張こそ大義だと思っているでしょう。公平と偏向の判定権が視聴

者でなく、権力をもつものに独占さることが問題なのです。そこを突かれて、自民党などから「偏向」を

批判されると、公平という自分たちの判断に確かな根拠があるわけではないので、おたおたして這いつく

ばります。常日頃から意見の主張を、客観的資料、美の鑑賞、娯楽などから厳密に区別して番組を制作す

べき、という倫理を自覚していないからです。

 わたしとちがう意見でも、それなりの根拠と説得力があれば、わたしは耳を傾けます。同意はできなく

ても、彼らはそういう理由から主張しているのかと腑に落ちれば、得した気分になります。要するに、プ

ロパガンダをそれ以外のものときちんと区別し、これはある立場からする評論あるいは主張であり、正し

いかどうかは視聴する自分が判断すべきものだと、あらかじめわかる形で放送してほしいのです。サブリ

ミナルに類した刷り込みは、たとえ正しい主張でも、許されません。

 それにしても、「エコ大紀行」の映像には見逃したくない魅力があります。今後は音声を消して見るこ

とにしましょうか。