雪原を照らす赤い太陽
昼に暖かくなると道路わきの雪はぐずぐずに汚れた印象です。でも昇りかけた赤い陽に輝く早朝の雪原
は、まだ十分に見ごたえがあります。写真は13日の6時過ぎに撮ったものです。高台では30分以上前
に日の出を迎えていますが、美幌川沿いの低地に陽が射すのはこの時間からです。
〔人間の本性〕
50歳を過ぎるころから、自分が正しいと思っていた考えを揺るがす著作との出会いが、だんだん楽し
くなってきました。数の力や優位な地位・権力によって屈服を迫る相手には怒りを感じます。でも、わた
しが欠陥を見つけられないデータと論理で思い込みを修正させられるのは、少しも不快ではありません。
スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』上中下三巻(NHKブックス 山下篤子訳)はそのような
著作のひとつです。ゆっくりゆっくりなめるようにして、2年をかけてこの本を味わいました。ピンカー
の主張の核心は次のように要約できると思います。
感覚、情動、科学、宗教、思想、文学芸術表現など、ヒトのすべての認知は脳で成立する。脳の基本機
能は遺伝子に制約されている。遺伝子は進化によっていまの形になった。ヒトの諸個人に共通で、他の種
に見られない遺伝形質がある。それが人間の本性になる。普遍的なものとは別に、個体の行動形態の差異
につながる遺伝形質もある。環境は形質発現に影響を及ぼす。しかし影響が普遍的および個別的な遺伝の
制約を超えることはない。遺伝による最終的な限界を認めず、環境を操作することで人の心はどのように
も形づくられるとする考え(もともとの心は書き込まれるのを待っている空白の石版=ブランク・スレート
のようなものという説)は、現在まで積み上げられてきた科学的な証拠に反するだけでなく、社会に害悪
を及ぼす。
細部では、わたしが敬愛するA.S.ニイルやS.J.グールドが敵役にされているなど、引っかかるところも
あります。でも、ここで要約した大筋については認めざるを得ません。だとすればわたしは、ともすれば
引き込まれそうになったことのある、人の心は環境でどうにでも変わるという考えとは、きっぱり決別し
なければならないでしょう。
しかしピンカーは、人を遺伝子機械として冷酷に突き放しているわけではありません。ヒトへの畏敬の
念をもち、ヒトを襲う悲劇の削減に貢献したいという熱い思いがあります。例えば彼が共感をこめて引用
しているジョン・アップダイクから孫引きしてみましょう。
人間であることは、死を予測し、肉欲を自覚する動物という張りつめた状態にあるということであ
る。これほどの思考力と、思い描きはするが思うようにならない可能性の複雑さと、部族としての要
請や生物としての要請に疑問をもつやっかいな能力に悩まされている動物は、ほかにいない。
(中略)ホモサピエンスがユートピアにぬくぬくと落ち着いて、すべての葛藤を緩和し、邪道を生み
だす困窮をすべて解消することはけしてないだろうと私には思える。(下 266頁)
次の二つはピンカー自身からの引用です。
(前略)ブランク・スレート説は、教育や育児や芸術を一種の社会工学に変えてしまう。それは家の外
で働く母親や、子どもが思いどおりに育たなかった親を苦しめる。人間の苦痛を緩和できるかもしれな
い生物医学の研究を非合法にしてしまう恐れもある。(中略)私たちを、みずからの認知的、道徳的欠点
に対して盲目にする。また政策に関しては、実行可能な解決策を探究することよりも、ばかげた教義の
ほうを上に置いてきた。(下 268頁)
(前略)たしかに科学は、ある意味では私たちを、さほど魅力的とはいえない三ポンドの器官の生理学
的プロセスに「還元」する。しかしそれはなんという器官だろうか !
その驚くべき複雑さや、厖大な組み合わせの計算や、現実の世界や架空の世界を想像する無限の能
力において、脳はまさに空よりも広い。(後略) (下 273頁)
は、まだ十分に見ごたえがあります。写真は13日の6時過ぎに撮ったものです。高台では30分以上前
に日の出を迎えていますが、美幌川沿いの低地に陽が射すのはこの時間からです。
〔人間の本性〕
50歳を過ぎるころから、自分が正しいと思っていた考えを揺るがす著作との出会いが、だんだん楽し
くなってきました。数の力や優位な地位・権力によって屈服を迫る相手には怒りを感じます。でも、わた
しが欠陥を見つけられないデータと論理で思い込みを修正させられるのは、少しも不快ではありません。
スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』上中下三巻(NHKブックス 山下篤子訳)はそのような
著作のひとつです。ゆっくりゆっくりなめるようにして、2年をかけてこの本を味わいました。ピンカー
の主張の核心は次のように要約できると思います。
感覚、情動、科学、宗教、思想、文学芸術表現など、ヒトのすべての認知は脳で成立する。脳の基本機
能は遺伝子に制約されている。遺伝子は進化によっていまの形になった。ヒトの諸個人に共通で、他の種
に見られない遺伝形質がある。それが人間の本性になる。普遍的なものとは別に、個体の行動形態の差異
につながる遺伝形質もある。環境は形質発現に影響を及ぼす。しかし影響が普遍的および個別的な遺伝の
制約を超えることはない。遺伝による最終的な限界を認めず、環境を操作することで人の心はどのように
も形づくられるとする考え(もともとの心は書き込まれるのを待っている空白の石版=ブランク・スレート
のようなものという説)は、現在まで積み上げられてきた科学的な証拠に反するだけでなく、社会に害悪
を及ぼす。
細部では、わたしが敬愛するA.S.ニイルやS.J.グールドが敵役にされているなど、引っかかるところも
あります。でも、ここで要約した大筋については認めざるを得ません。だとすればわたしは、ともすれば
引き込まれそうになったことのある、人の心は環境でどうにでも変わるという考えとは、きっぱり決別し
なければならないでしょう。
しかしピンカーは、人を遺伝子機械として冷酷に突き放しているわけではありません。ヒトへの畏敬の
念をもち、ヒトを襲う悲劇の削減に貢献したいという熱い思いがあります。例えば彼が共感をこめて引用
しているジョン・アップダイクから孫引きしてみましょう。
人間であることは、死を予測し、肉欲を自覚する動物という張りつめた状態にあるということであ
る。これほどの思考力と、思い描きはするが思うようにならない可能性の複雑さと、部族としての要
請や生物としての要請に疑問をもつやっかいな能力に悩まされている動物は、ほかにいない。
(中略)ホモサピエンスがユートピアにぬくぬくと落ち着いて、すべての葛藤を緩和し、邪道を生み
だす困窮をすべて解消することはけしてないだろうと私には思える。(下 266頁)
次の二つはピンカー自身からの引用です。
(前略)ブランク・スレート説は、教育や育児や芸術を一種の社会工学に変えてしまう。それは家の外
で働く母親や、子どもが思いどおりに育たなかった親を苦しめる。人間の苦痛を緩和できるかもしれな
い生物医学の研究を非合法にしてしまう恐れもある。(中略)私たちを、みずからの認知的、道徳的欠点
に対して盲目にする。また政策に関しては、実行可能な解決策を探究することよりも、ばかげた教義の
ほうを上に置いてきた。(下 268頁)
(前略)たしかに科学は、ある意味では私たちを、さほど魅力的とはいえない三ポンドの器官の生理学
的プロセスに「還元」する。しかしそれはなんという器官だろうか !
その驚くべき複雑さや、厖大な組み合わせの計算や、現実の世界や架空の世界を想像する無限の能
力において、脳はまさに空よりも広い。(後略) (下 273頁)