美幌川雪景色





予想よりは安くて、何とかなりそうです。大工さんが入らなかったからでしょうか。オジロに羽音が聞こ
えるほど近づくのはむずかしいと思いますよ。水平距離で15メートルほどのところまで行くと必ず飛び
立ちますから。餌付けでもしている場所があれば別でしょうけど。
〔生態系サービス 1 〕
わたしは野山の花々が好きです。新緑や紅葉の森に陶然となります。鯨、アザラシ、エゾシカ、キタキ
ツネ、クロテンなどに会えればうれしい。丹頂、オジロワシにオオワシ、白鳥、青サギなどの大きな鳥
や、赤ゲラ、ツグミ、白セキレイなどの小鳥を見ているのは楽しい。これらの動植物が身近に見られる環
境を大事にしたいと思います。ですが、一部のエコロジストの言説には以前から違和感がありました。例
えば反捕鯨派の人たちの、鯨はヒトに近い知性をもつ動物なので、殺すのは残酷だという主張です。牛や
羊を食糧にするのは平気なのに、鯨はダメと言う理由が納得できません。パンダやコアラなど見た目でか
わいらしい動物を保護しようという意見には、容易に賛同が集まります。どの生物をなぜ保護すべきなの
か。文化的伝統や人々の好みで左右される保護基準はあいまいです。
現在生きている生物種の何倍もの種が、35億年の間に地球上で絶滅しています。そのほとんどはヒト
の活動と無関係です。確かに現在進行中の種の絶滅は、ヒトのせいで加速しています。ですがそれは近年
にはじまったことではなく、狩猟採取時代からのこと。アメリカ大陸で大型哺乳類があまり見られないの
は、ユーラシア大陸からアラスカを経て南下した石器人の狩猟のためだと、何かで読みました。ある生物
種が増えればある生物種が滅びる、それは地球生物の進化史でふつうに起きたことです。遺伝子の多様性
は貴重ですから、現在絶滅に瀕している種を保護する活動は必要だと思います。しかしたとえヒトが滅ん
だとしても、野生種の絶滅がなくなるわけではありません。
植物種の多様性が豊かな場所には動物も多様性があるので、そのような地点を指定して保護すべきだと
いう考えがあります。実際、自然公園に指定して採集や狩を禁じ、人の立ち入りを制限しているところも
あります。多様性ホット・スポットの多い熱帯地方などでは、サン族(かつてはピグミーと呼ばれた)のよ
うな指定地域の住民が、伝統的生活手段を奪われ、流浪したり貧窮化したりしました。自然保護とヒトの
経済的利害が相反するという考えも、科学技術の進歩を押しとどめようとする反文明思想を励ましている
ように思います。江戸時代や自然経済の時代を理想とするものです。わたしが特に違和感があるのは、こ
のような反文明思想に染まったエコロジストの主張です。
最近わたしは、世界人口を80から100億人の間で安定させ、そのほとんどすべての人が、現在OE
CD諸国でくらす中流層程度の生活水準までは享受できるようにすることが可能なのではないか、と考え
るようになりました。各国の政治・経済指導者と国民の選択しだいですけれど。どのような選択をすれば
いいのか論じるのは、また別の機会にして、今回はその場合に必要になる自然保護思想に限定しましょ
う。「日系サイエンス」08年3月号に『人間のための自然保護』という記事(P.カレイヴァ、M.
マーヴィエ)がありました。それによると、恣意的なものや植物多様性によるものとちがう基準が、近年
になって台頭しているとか。生態系サービスの価値を計算して保護を決める方法です。わが意を得たりと
いう共感を覚えました。次回からこの記事の内容を一部紹介し、コメントしようと思います。