廃駅 リハビリは生きる希望

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 オンネトー町民ハイクのバスは往復とも、相生(あいおい)道の駅で停まります。復路ではあっという間

にレジに長い列ができました。豆腐やアゲが目当です。預けていた越冬野菜をバスに運ぶ人もいます。こ

こは廃止されたふるさと銀河線の裏手に当たります。食べきれない量のものを買う気がないわたしは、線

路やホームをぶらつきました。除雪用の機関車や車両が並んでいます。ホームのモミジが色鮮やかです。

人集めという名目で、乏しい予算を割いて廃駅を整備しているのでしょう。あまり効果は期待できないと

思いますが。きっと、失われた懐かしいものへの気持ちを形にしておくための口実です。


 〔リハビリは生きる希望〕

 これまで2回取り上げた多田さんの本(『寡黙なる巨人』)で、わたしはリハビリについて考えを改めさ

せられました。以前のわたしの理解は、傷病後の身体機能回復を援ける療法という程度です。こう書かれ

ています、「何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。

社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する」。人とし

ての誇りを守ろうとする営みでもあったのですね。トイレで介助されずに用をたす、洗面台まで室内を歩

く、妻にいたわりの言葉をかける、そういう健常者には何気ない行為が、外見にはどんなにたどたどしく

醜く見えても、本人の人としての誇りにつながっています。だから、平行に渡された2本の棒にすがって

何とか自力で立とう、一歩でも足を前に出そうとして、あるいは療法士の指示に応えて動かない舌を動か

そうとして、激烈な痛みをこらえ、もどかしさに涙しながら、努力します。

 急性期を過ぎると、目立った機能回復は望めないことが多いようです。しかしその後もリハビリは必要

です。短い間でも訓練を休めば、それまで獲得した機能もすぐに低下するからです。「これ以上低下すれ

ば、寝たきり老人になるほかはない。その先はお定まりの、衰弱死だ」。「それ以上機能が低下しないよ

う、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流している」慢性期や維持期の患者が、リハビリを拒否され

れば、「すぐに廃人になることは火を見るより明らかである」。リハビリは人として生きる希望を支えま

す。

 脳血管障害の患者数は増えています。その一方でリハビリが充実したことで、患者の入院期間が大幅

に減り、医療費が削減されたという事実があります。それなのに、療法士の待遇は貧しく、レベルも上が

りません。多田さん自身、自分で経験してはじめて、「リハビリは科学であることを理解した」と書いてい

ます。


    科学といったのは、たとえばどの動作にはどの筋肉が収縮するのか、麻痺した筋肉に、どうすれ

   ば刺激を入れることができるかを、解剖学的、生理学的知識をもとに徹底的に解明する。(中略)

    優秀な療法士は、合理的な指導や科学的な裏づけのもとに、あらゆるトリックを駆使して、不可

   能だった運動を可能にする。目的を知悉した、熱意のある訓練が必要なのだ。


 彼は一人の優れた理学療法士に出会うことができましたが、前の病院で指導された療法で筋肉が萎縮し

ていて、一からやり直す悪戦苦闘を強いられます。日本ではリハビリテーション医学が独立した臨床科学

として確立されておらず、「ごく最近まで、整形外科的な病気、骨折後のケアーとかリウマチの手足の機

能回復などマッサージに毛の生えたようなリハビリが主であった」というのが、彼の判断です。

 多少なりとも進歩の兆しもあった日本のリハビリ制度が、06年の小泉内閣による診療報酬改定で大き

く後退します。改定の狙いは発症後180日を過ぎたら、医療保険によるリハビリを中止するところにあ

ります。それ以後は介護施設でリハビリを受けられる建前ですが、設備が整っていて医師や療法士の処方

で訓練が行われている施設はほとんどありません。介護事業の出費はどんどん削られています。さらに、

理学療法士の待遇は悪く、人材育成体制も貧弱です。介護施設に設備や療法士が必要なだけ配置される可

能性はないのです。事実上医療としての質を備えたリハビリは半年で打ち切るという路線です。

 多田さんはこの改訂について、「人間の尊厳を踏みにじることになる」、「「障害が180日で回復しな

かったら死ね」というのも同じことである」、と怒ります。日本の各界トップには棄民思想の血脈が流れて

います。有力な者を育てて国力を強化する。そのためには、足手まといになるマイノリティーを切り捨て

ることになってもやむをえない、そういう思想です。だから、「競争による活力」を唱えて、福祉を縮小し

低賃金の非正規労働を容認します。水俣の水銀中毒患者救済を値切ります。敗戦期には満州や沖縄で民間

人に自決用の毒や武器が渡されました。政治家や軍人にも国家への忠誠を貫いた人はいます。しかしその

国家とは「国体」や天皇のことで、国民ではありません。日本は国民への誠実を貫く人はトップ・リーダー

になれない国なのでしょうか。