仙人の遊ぶ庭みたい

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 はじめの2枚を撮ったあたりで、昔中国の詩人が作ったという詩の一片が頭に浮かびました。うろ覚え

ですが、林間に紅葉を焚いて酒を温める、みたいな文句だったかと。石と常緑樹に赤や黄色が配置され、

古いお屋敷の庭を思わせます。でもここは20キロ近く人一人車一台通らない深い森の中です。庭とすれ

ば、仙人の庭でしょうか。こんなところで酒を酌み、ほろ酔いで木々の彩を半日も眺めていたら、俗な心

が洗われるかもしれません。

 置戸(おけと)湖から国道273号線(糠平国道)に抜ける未舗装の町営林道です。観光客の来るようなと

ころではないのです。わたしが林道を好きだと知っていてこのルートを選んでくれました。はじめはまだ

黄色が目立たない白樺の林が続き(3枚目)ますが、少し高度が上がるとまず緋色をまとった山ぶどうがち

らほら現れ(4枚目)、しだいにナナカマドの色が濃くなります(5枚目)。そして峠付近にあったのが、こ

の「仙人の庭」。峠の名前を聞いたのに、例によって忘れてしまって思い出せません。鹿の子林道と十勝

地方の中間だから、勝鹿峠だったかも。

 昨日は写真の整理をするかたわら、『近代による超克』の下巻を読み続けました。戦前の知識人、和辻

哲郎や九鬼周造などが、自然・いき(粋、意気)・諦念を三本の柱とする日本精神を称揚し、結果として帝

国主義日本の侵略に加担するに至ったというのです。著者のハルトゥーニアンは、彼らの、西欧近代技術

の優越性を認めながらも、利潤と物質的豊かさの追求にあけくれる資本主義の害悪から脱する道を必死で

考えようとした意図を、深く理解しようとしています。

 深い森の紅葉を喜ぶわたしの感性も、戦前文化人に通じるところがありそうです。自然と感応する縄文

文化にまでさかのぼれそうなこういう心情を、わたしは否定できません。しかし一方で、情報化とグロ

ーバル化にも希望を託しています。この二つの感情の間に、うまく通路が開けるものなのかどうか。