スミレ 高度社会保障国家への道 4
今の時期にウチの庭に咲く花から、今日はスミレです。
〔高度社会保障国家への道 4〕
北欧の高負担高福祉は、自分の払った税や保険料は自分に還ってくると国民が信じているから、成り立
っている。出産や育児には手厚い保障と支援がある。学校教育は、例えばフィンランドでは、就学準備か
ら大学院やキャリアーアップのための再学習まで、すべて無償である。子どもはふつう、遅くとも18歳
までに親から別れてくらしはじめる。住宅にも助成がある。就学中であれば、学費だけでなく生活費も本
人に直接支給および貸与される。その上で遊ぶお金は、ほとんどみんながアルバイトで稼ぐ。それは将来
の職業に備える準備として推奨される。経済面では、子どもは親の個人的負担でというより、社会の責任
で大人になる。親は子の扶養や教育費のために働くわけではない。
大人になって現役で働いている間も退職後も、個人の経済生活の最低水準は、公共システムが支えてい
る。最低保障があるから、親子、男女、交友などの人間関係では、経済的配慮より個人の気持ちを優先で
きる。それぞれの価値観に忠実に、やりがいのある仕事に就いて活躍したり、豊かさを求めて働いたり、
公共負担以外の収入で自分好みのくらしを楽しんだりできる。経済的理由で、ある生き方が強制されたり
制約されたりする度合いは小さい。高度社会保障が個人をより自由にしている。自分が自由に生きるため
だから、すべての個人が自分にできる負担をするのは当然なのだ。
明治からの日本の伝統は逆だった。子の養育・教育は親の責任。子は親の負担で育つのだから、親に従
順であるべきなのだ。負担に耐えられない親はダメな親。この場合はやむを得ず、子どもに公的支援が与
えられる。それはダメ親に代わってお上から施される恩恵である。公教育も親の見識と経済力に不安があ
って政府が肩代わりしているものだから、その内容を決める権利は政府にある。妻や老親の扶養も本来家
族の長たる男の責任だ。男は、幼いときは父の命令に忠実に励むべきだ。老親は家族扶養の任を果たし終
えているのだから、尊敬を要求できる。女は、「幼くは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従
う」。いつも家長の命令に忠実でなくてはならない。子どもと女は社会の能動的な一員ではなく、従順と
引き換えに保護を与えられる被保護者である。
今はダメ親にも女性にも選挙権があるから表向きの表現は洗練されてきた。だが、社会で支配的な地位
にある多くの男に、心の奥底のホンネとしてはこの種の考えが残っている。それがセクハラ・パワハラや
政治家の露骨な言葉になって、ぽろりと漏れることがある。当座は騒ぎになるが、「俺はりっぱに妻子を
養っている」という自負の強い男たちに共感されるところがあって、彼らが地位を失うところまではなか
なかいかない。現在でも女性の地位(高等教育進学率やジェンダー・エンパワーメント指数など)は、経済
先進国中の最低であり、途上国でも女性差別が厳しい国と並んでいる。ちなみに、女性の高等教育受講率
は、フィンランドが第一位の94%で、日本は45%で韓国の61%より低い(01-02年、NHKデータマップ
『経済の地図帳』)。
男だけではない。本人や夫に経済力があって、「子の養育・教育は親の責任」を全うしているつもりの
母親は、子どもを支配したがる。その自信のない母親はしばしば男や公権力の専制に子を差し出す。子ど
もは、「養ってくれた」親への引け目やダメ親への恨みを乗り越えないと、精神的に自由になれない。ハ
ードルが高いから、乗り越えようとして心が歪むことも多い。豊かな家で親に圧倒されながら育てば代償
として、支配欲が強くなり、経済的に恵まれないものへの蔑みもインプットされやすい。首相をはじめと
する有力政治家や高級官僚や経済界首脳にはこのタイプが多い。親の貧しさから多くのことを我慢しあき
らめて育てば、意欲が損なわれたり、社会への恨みや卑屈さが残ったりしがちだ。両方があいまって、政
官界の腐敗と各界の非効率な人格的序列秩序の温床になる。(続く)
〔高度社会保障国家への道 4〕
北欧の高負担高福祉は、自分の払った税や保険料は自分に還ってくると国民が信じているから、成り立
っている。出産や育児には手厚い保障と支援がある。学校教育は、例えばフィンランドでは、就学準備か
ら大学院やキャリアーアップのための再学習まで、すべて無償である。子どもはふつう、遅くとも18歳
までに親から別れてくらしはじめる。住宅にも助成がある。就学中であれば、学費だけでなく生活費も本
人に直接支給および貸与される。その上で遊ぶお金は、ほとんどみんながアルバイトで稼ぐ。それは将来
の職業に備える準備として推奨される。経済面では、子どもは親の個人的負担でというより、社会の責任
で大人になる。親は子の扶養や教育費のために働くわけではない。
大人になって現役で働いている間も退職後も、個人の経済生活の最低水準は、公共システムが支えてい
る。最低保障があるから、親子、男女、交友などの人間関係では、経済的配慮より個人の気持ちを優先で
きる。それぞれの価値観に忠実に、やりがいのある仕事に就いて活躍したり、豊かさを求めて働いたり、
公共負担以外の収入で自分好みのくらしを楽しんだりできる。経済的理由で、ある生き方が強制されたり
制約されたりする度合いは小さい。高度社会保障が個人をより自由にしている。自分が自由に生きるため
だから、すべての個人が自分にできる負担をするのは当然なのだ。
明治からの日本の伝統は逆だった。子の養育・教育は親の責任。子は親の負担で育つのだから、親に従
順であるべきなのだ。負担に耐えられない親はダメな親。この場合はやむを得ず、子どもに公的支援が与
えられる。それはダメ親に代わってお上から施される恩恵である。公教育も親の見識と経済力に不安があ
って政府が肩代わりしているものだから、その内容を決める権利は政府にある。妻や老親の扶養も本来家
族の長たる男の責任だ。男は、幼いときは父の命令に忠実に励むべきだ。老親は家族扶養の任を果たし終
えているのだから、尊敬を要求できる。女は、「幼くは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従
う」。いつも家長の命令に忠実でなくてはならない。子どもと女は社会の能動的な一員ではなく、従順と
引き換えに保護を与えられる被保護者である。
今はダメ親にも女性にも選挙権があるから表向きの表現は洗練されてきた。だが、社会で支配的な地位
にある多くの男に、心の奥底のホンネとしてはこの種の考えが残っている。それがセクハラ・パワハラや
政治家の露骨な言葉になって、ぽろりと漏れることがある。当座は騒ぎになるが、「俺はりっぱに妻子を
養っている」という自負の強い男たちに共感されるところがあって、彼らが地位を失うところまではなか
なかいかない。現在でも女性の地位(高等教育進学率やジェンダー・エンパワーメント指数など)は、経済
先進国中の最低であり、途上国でも女性差別が厳しい国と並んでいる。ちなみに、女性の高等教育受講率
は、フィンランドが第一位の94%で、日本は45%で韓国の61%より低い(01-02年、NHKデータマップ
『経済の地図帳』)。
男だけではない。本人や夫に経済力があって、「子の養育・教育は親の責任」を全うしているつもりの
母親は、子どもを支配したがる。その自信のない母親はしばしば男や公権力の専制に子を差し出す。子ど
もは、「養ってくれた」親への引け目やダメ親への恨みを乗り越えないと、精神的に自由になれない。ハ
ードルが高いから、乗り越えようとして心が歪むことも多い。豊かな家で親に圧倒されながら育てば代償
として、支配欲が強くなり、経済的に恵まれないものへの蔑みもインプットされやすい。首相をはじめと
する有力政治家や高級官僚や経済界首脳にはこのタイプが多い。親の貧しさから多くのことを我慢しあき
らめて育てば、意欲が損なわれたり、社会への恨みや卑屈さが残ったりしがちだ。両方があいまって、政
官界の腐敗と各界の非効率な人格的序列秩序の温床になる。(続く)