柳 脳はまちがう

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 うえぽんさん、もう山菜採りですか。美幌より暖かいのでしょうね。エゾさんのところは、写真で見る

とここより雪が多いようですね。スキーで歩いてるところがかっこいい。デビルさん、9999人目です

か。4月9日でブログをはじめてちょうど1年なので、この日までに1万人の訪問者があるかなと思って

いましたが、少し早い達成です。

 写真は3が31日のせせらぎ公園の柳です。


〔脳はまちがう〕

 ヒトの脳は子孫と個体を護るように進化した。長く続く強いストレスは直接に身体の健康を損ない、自

信がもてず迷っている心は緊急時の反応を遅らせるから、心が傷つき弱くなると生存に不利である。その

ため、脳の記憶や認知には、ストレスを緩和し自分への信頼を強める方向へバイアスがかかっている。わ

たしたちは他人にしてもらったことより、他人にしてやったことのほうをよく覚えている。酒飲みは酒害

を説く人より、気持ちよく一杯付き合ってくれる人に気を許す。自分の血圧を2回測って数字がちがえ

ば、低いほうを記録する。『脳は意外とおバカである』(草思社 渡会圭子訳)のなかで、心理学者のコー

デリア・ファインが、「望ましい自己像」を強めるように記憶を操作し、うぬぼれを励ますように情報を

取捨選択する脳の働きを、たくさんの心理実験によって明らかにしている。

 わたしも若いころは、自分の理性的・客観的なつもりの認識にもある、好みや思い込みによるバイアス

を、まったく自覚していなかった。老境に近づいてから、自分の主張の主観性がとても気になりはじ

めた。社会や政治に対して客観性のある意見をもちたいから、書物を参照し、裏づけとなる数字を探し、

論理的に構成しようとする。それでも、自分の見解に沿う著書に出会えば安心し、都合のいいデータを見

つければ飛びつく傾向がある。論理構成に穴があっても、無視したほうが主張をまとめやすければ、見落

としているかもしれない。

 進化的な理由で脳に備わっている自己中心的傾向と、そこから生じる認知の偏りや知識の誤りの可能性

に気がついていないと、「正しい」自分の意見に反対する他人を、愚かだとか悪意があるとか、非難した

くなる。権力のある人なら、暴力や陰謀や処罰や威嚇で、反対意見を封じようとするかもしれない。すべ

ての個体脳が、自尊心や優越感を護るため、客観的な認識をゆがめるものなら、平和的に行動の合意を形

成することは不可能なのだろうか。わたしはそうは思わない。自分の考えが誤っている可能性を自覚し、

公共的な討論で納得すれば意見を変え妥協する。この点で合意している社会なら可能だと思う。

 ヒトは子孫と個体を護るために偏った情報処理をする脳を発達させた。だが同時に、社会を介して子孫

と個体を護る方向に進化している。そして、ヒトの社会行動は本能を超える知識の伝達に支えられてい

る。すべての脳が個体性に偏しているので、異なる脳が共有できる情報にこそ、ヒトに普遍的な客観

性が生まれる。特定の利害を共有する小集団の中だけで成立する共有情報には、その集団固有の偏りがあ

るだろう。共有が異質な諸個人の間に広がれば広がるほど、客観性が増す。個体脳の内部では、主観的な

認知への傾向と客観的な認識の可能性が共存している。個体脳の主観性を正すのは、文字や電子のメディ

ア、それに人の集団が作る公共討論空間の機能である。

 公共討論空間のあり方が、個体脳の主観性を許容したり客観性を励ましたりする。電子メディアの検索

機能は、いまのところ主観性強化により多く役立っているが、文脈検索がはじまって、客観的な検証にも

使いやすくなる可能性が見えてきた。(このテーマはもう一回続く)