不登校が罪にまみれる時代があった

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 雪の結晶や樹氷の写真をよろこんでもらえて、ますます撮るのが楽しくなりました。


 むかし『北越雪譜』や中谷宇吉郎の本などで、絵や写真を見た記憶がうっすら残っていますが、雪の結

晶の幾何学模様や色彩を、こんなに美しいと思ったのははじめてです。稼ぎや義務のためにする仕事から

解放されて、ただただ「楽しいものを見つけるぞ」という気持ちでくらしているからでしょうか。


 学校に行かないまま中学を卒業したある人の勉強を、わたしが手伝ったのは、1980年代の末でし

た。それ以来2000年まで、毎年2人から6人程度の人が昼間に、わたしのところへ来て勉強するよう

になりました。夜の学習塾の仕事より昼間のこの仕事のほうが、義務感というかやりがいというか、なに

かの思い入れが強かったと思います。

 始めたばかりのころは、高校中退の人でも中学を卒業した人でも学籍が残っている人でも、彼らの親は

強い罪責感に包まれているように感じました。世間に向けられたものでも子どもに向けられたものでも、

罪責感は子どもの現状が「あるべきものではない」、という感覚を伴います。本人に自己否定の感覚があ

ると、勉強がうまくいかず、ときにはふつうの生活さえできなくなります。小学校低学年の場合は、親や

周りに罪の意識が薄れるにとともに、比較的短期間で元気になります。心の奥深くまで罪責感が感染して

しまった10代後半以降の人だと、元気になるのは容易ではありません。

 勉強を手伝うだけでなく、勉強する気になった人でもその気にならない人でも、親や周辺に働きかける

必要があると感じて、機会があるとそういうこともやるようになりました。ところが10年ほどの間に、

不登校を取り巻く世間の雰囲気が変わりました。「行かなくても罪じゃない」と思う人が増えていたので

す。昨年の新聞には、「死にたくなるほどいじめられるのなら、学校に行くのをやめればいい、」という

ような投書を、何度か見かけました。不登校を罪まみれとする感覚は、もう時代遅れです。いまは民間で

も行政でも、不登校からの再出発を支援する機関はたくさんあります。

 いま思えば、この変化はわたしたちの努力によるものではなく、終身雇用と年功序列の正社員を標準と

する労働市場が、社会の底辺で流動化しはじめていた結果でした。経済の実態は変わっていこうとしてい

るのに、学校では一企業に忠誠を尽くす生涯という鋳型に、子どもをはめ込む教育が続いている。これ

が、不登校だろうと学校に行き続けていようと、教育を受けようとする子どもの不幸の原因だったので

す。ばくぜんとですが、そういうことを感じるようになっていましたので、2000年以後、別な教育を

行う機関を作りたいと模索しましたが、自分の非力を痛感させられて終わりました。

 後は余生と思い定めてここに移住して、こんなに楽しい日々を送れるなんて、努力の足りないなまけも

のが、思いもかけないボーナスをもらったような気分です。