「見るべきものはみんな見た」とは言えないよ

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 夜明けの空の写真です。斜里岳の方向に「天使の梯子」ができかかっています。


 「見るべきものはすべて見つ」でしたっけ、江戸時代の人でしょうか、「この世で見る価値のあるもの

はすべて見てしまった。(だからもういつ死んでもいい)」、という意味の言葉を残した人がいたと、何か

で読んだ記憶があります。

 昔はどこかに出かけるにはたいてい自分の足で、たまに馬か駕籠ですよね。船便もあったでしょうが、

川が中心です。島国の上に交通手段が限られていました。「見るべきもの」の範囲いまに比べてとても狭

かったでしょう。だから40か50で、「みんな見ちゃった」と思えたのかな。

 テレビでBSやCSの契約をしてから、見たいものがどんどん増えています。メジャー・リーグだけで

すが、いままで興味がなかった野球もおもしろくなりました。静かな音楽を背景に、日本や世界の風景を

淡々と映し続ける番組も魅力があります。今風の音楽も、意表を突かれるテンポのいい映像とアレンジさ

れている出来のいい番組は、もっと見たい・聴きたいと思ってしまいます。それに、前から好きなドラマ

や映画です。用心しないと、テレビだけであっという間に一日が過ぎてしまいます。

 その他に小説でしょう、ネットでしょう、車でちょっと行けばそこにある風景でしょう、新しい食材で

しょう、新しい思想との出会いでしょう。いいものを体験すればするほど、逃したら損だという気分にな

ります。わたしのような俗物は、いつまでたっても「もういい」という心境になれそうもありません。


 それにしてもバレーボールの放送、どうにかならないのかなー。スポーツとして見るのは好きなんで

す。見逃したくはないんです。だけど日本チームの応援の演出が、スポーツを見る楽しみを台無しにして

しまってる。大体ゲームの最中に、大音声のマイクで音頭を取るなんて、プレイヤー、特に相手チームの

プレイヤーに失礼ですよ。コート上の選手の一挙手一投足に意識が集中し、成功や失敗に思わず歓声やた

め息が沸く、それが醍醐味でしょ。その楽しみを邪魔されるから、見るのを断念しています。とても悔し

く残念です。