科学ではない科学番組

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 科学的なテーマを鮮やかな映像とわかりやすい解説で伝えるNHKスペシャルを、いままでわたしは好きだった。だけど昨日、最近の番組、恐竜の時代を生き延びて進化した哺乳類を扱ったものを見ているとき、「おや」と思った。ナレーションで、恐竜が当時の最強の生物であったという意味のことを、当たり前のように語っていたからだ。文芸作品ならかまわない。視聴者に科学的な番組と思わせる作り方をしているのに、「最強の生物」というような非科学的概念を平気で使っている。科学的命題は検証可能でなければならない。どんな範囲が対象か、強弱を比較する基準は何か、が定義されていなければ、検証も反証もできない。範囲や基準の取り方によっては、ある植物やバクテリアを最強と言うこともできる。
 そう考えたら、この番組が、哺乳類の進化についての特定の考え方に、視聴者を誘導する目的で作られている、と思えてきた。ある生物種がある方向に進化した理由の説明は、一筋縄でいかない。進化は、確率論的なさまざまな偶然と、環境変化のタイミングとの、相互作用の結果であって、目的論的に進むものではないからだ。哺乳類は「ヒトになるため」あるいは「ヒトを生み出すため」に進化したのではない。
 思い返せば温暖化問題の番組でもそうだった。主流の意見に対する異論の中身はまったく報道していなかった。人間活動による二酸化炭素排出が温暖化を招いた、温暖化によって人類は危機に直面する、という結論がまずあって、視聴者をその結論に誘導するように作られていた。この二つの命題のどちらも、仮説ではあっても証明されているわけではない。科学が魅力的なのは、仮説とその根拠が提示され、根拠が検証され、反証が出され、実験、観察、論理で決着がつけられるからだ。多数決や人々の好みは問題ではない。
 科学番組なら、証明されていることと未解決な課題とを区別して、対立がある点については両論が提示する根拠を報道し、視聴者が自分で考え、自分で結論を出すように促すべきだ。作り方しだいで、そのほうがずっと刺激的な番組になる。そうしないで誘導的な作り方をするのは、視聴者を馬鹿にしているからだ。「あんたら、複雑な問題はわかんないだろう。オレたちが考えて結論を出し、単純化してみせてやるよ。これならあんたらにもわかるだろう。」という精神で作っている。学校の先生にも、よくこういう人がいるけど゛、いやだよね。

 今日の写真は小清水原生花園から網走港方面を見たものと、エゾスカシユリです。7月はじめのもの。